萬物芻狗



自己紹介 その1

原田塾代表を務めている原田二郎と申します。小・中・高と大阪教育大学附属天王寺で過ごし、
岡山大学工学部合成化学科に入学後、岡山大学理学部生物学科に転学し卒業しました。
その後、岡山大学大学院理学研究科修士課程生物専攻に入学すると同時に、
株式会社を設立したり、塾を設立したり、その他もろもろをしたりしていました。

当時(昭和から平成へと変わるころ)は、「やればできる」という根拠のない自信だけで突っ走っていましたが、
全てうまくいかず、大学院も中退し、塾もたたみ、会社の規模も縮小しました。
それでも、意気だけはすこぶる軒昂で、自分の理想とする初中等教育=附属天王寺で受けた教育を実践することに燃えていました。
しかし、附属の教育はあまりにも自由だったため、学校で実践することは不可能だと判断し、「塾」で実践することに一生をかけようと思いました。

たまたま岡山高校の寮生を主に教えている塾に勤めている大学の後輩を知っていたので、
すがったところ、そこで働かせてもらえることになりました。
その塾は「OGO進学教室」といい、岡山高校創設校長の桐山先生が顧問としていらっしゃいました。
桐山先生は私が理系の人間にもかかわらず文系科目も指導することに驚かれ、私のことを大変気に入って下さいました。

当時(平成の初めごろ)は今ほど少子化が進んでおらず、私立と公立という対立の構図はあっても、私立学校同士の対立はありませんでした。
とくに、岡山は総合選抜制度であったため、高校入試では「競争」というものがほとんどありませんでした。
そのため、各私立高校の校長先生、元校長先生同士は本当に仲が良く、
私を岡山市内のいろいろな私立高校に連れて行って下さり、岡山高校の実績を示しながら、私のことをここぞとばかりに売り込んで下さいました。

そのお話を横で聞きながら、「学校では自分の思うような指導はできっこないから、
折角売り込んでいただいてもここで教えることはないだろうな。そもそも、教員免許を持ってないんだし。
本当にありがたいけど、骨折り損に終わるだけで、申し訳ないなあ。」と思っていました。